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幼稚と無邪気の違い?子供みたいな大人にはこんな理由があった。

人は大人になると、子供ではいけないと。それでは社会では生きていけないと。子供らしさを封印してしまいます。たしかに幼稚な大人は、社会では非常識な大人として扱われます。しかし誰しも自分の中に、子供らしい無邪気な自分というカケラを持っています。今回は幼稚を卒業して、無邪気を自分の武器にするという視点で見ていきたいと思います。

幼稚は欲求の暴走

子供が駄々をこねたり、わがままを言ったりするように、まるで子供のように、感情のままに振る舞う人を見て、人は幼稚と感じます。

人には誰しも欲求がありますので、欲求を表現し、欲求を満たすこと自体がわるいわけではありません。

しかし、場所をわきまえず、公の場だったり、大衆の面前で、そのように振る舞ってしまうと、幼稚というレッテルを貼られるわけです。

幼稚とはどのような人のこと?

考え方や行動などが未発達で子供っぽいことを、一般的には幼稚と認識します。具体的には、考え方が自分主体であることが挙げられます。他者の目線がなく、自分の欲求を押し通そうとすることから派生しています。

行動としては、子供が駄々を捏ねたり、わがままを行ったりするように、まるで子供のように、感情のままに振る舞う人を見て、人は幼稚と感じます。人には誰しも欲求がありますので、それ自体がわるいわけではありません。

しかし、場所をわきまえずに欲求のままに振る舞ってしまうと、幼稚というレッテルを貼られるわけです。

幼稚を占星術の視点で見ると?

欲求とは、私たちの根底にある、必要不可欠なものです。自分のエネルギーが向けられる先が、自分の本当の欲求であった場合、人は潜在能力を遺憾無く発揮することができます。

その欲求は、占星術では、「月星座」で見ていくことができます。また、子供の頃は、その欲求を自然とわかっていたのです。ですので幼少期の自分を振り返れば、本当の欲求を知ることもできます。

人は大人になればなるほど、欲求を押さえたり、隠したりする生き物なのです。

幼稚さは封じ込められた欲求

そしてさらに、子供の頃にその欲求を否定されたり、幼少期の環境によって欲求を出すことができなかった場合は、過度に自分の欲求を押さえたり、隠したりしてしまいます。

その場合、長いあいだ封じ込めていた欲求が解放されたときに、過剰になりすぎてしまい、暴走し幼稚と思われるてしまうことがあります。

反対に、その封じ込まれた欲求を満たすために、無意識に過剰に人に求めすぎて、幼稚と見られてしまうケースもあります。

どちらにしても、バランスを失い、過度になってしまっている状態といえます。

幼稚とは違う無邪気さの魔法

純粋な心のまま、素直なことを人は無邪気といいます。幼稚とともに、子供みたいな大人という印象でも、無邪気さを感じる人は、なぜか好感が持たれます。その両者を比べた場合、何が決定的に違うのかを見ていきたいと思います。

幼稚と無邪気の違い

先にも述べたように、幼稚は、自分の感情や欲求に従い、精神の未発達から周囲を振り回すような行動のことですが、純粋な心や性質で素直なことを無邪気といいます。

幼稚さが際立っている子供みたいな大人は、感情が暴走している状態ですので、素直さはあまり感じられないものです。逆に、同じ子供みたいな大人でも、無邪気さを感じられる人は、なぜか好感が持たれます。

その両者を比べた場合、何が決定的に違うのかというと、自分を客観的に見れているかどうかではないでしょうか。

感情は、人を盲目にさせ、感情の渦の中にいる時、自分を見失っています。

幼稚から無邪気さという性質や個性に変えるには?

占星術の視点で見ると、もともと生まれ持った性質が無邪気という方はいますが、幼稚さは後天的に形成されたものになります。

無邪気な人の特徴として、新月を迎えたのち1週間程度の間に生まれた方というのは、先天的に無邪気さを内包しています。また蟹座の要素が強い方も無邪気さを持っています。

そしてそれが、個性として人の目に写ります。

幼稚を卒業して、無邪気を自分の武器にする

人は、大人になると、子供みたいな大人ではいけないと、それでは社会では生きていけない、と子供らしさを封印してしまう生き物です。しかし、誰しもが自分の中に、子供の自分というカケラを持っています。

その子供時代の自分をダメにしていないか、その子供が自分の中で笑っているか、自分のプライベートの時間は伸び伸びと開放的に過ごせているか、ぜひ感じてみてください。

もし、幼少期の自分が全く今、どんな瞬間にも存在していないとしたら、それはもしかしたら自分の欲求を封印している証かもしれません。

その封印が解除され、自分の本来の欲求を求め始めた時、あなたも無邪気さを周囲に振りまいているかもしれません。