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スピリチュアルを信じるか?信じないか?その本質に迫ります

目に見えない世界は、スピリチュアルな世界と定義付けた場合、スピリチュアルを信じられないということは、目に見えない世界を否定することになります。それは本来の人間の力を発揮できないということにもなります。信じるか信じないかで、自分の能力を100%以上発揮できるとしたら、信じないという選択肢はなくなるのではないでしょうか。

スピリチュアルとは?

まずはスピリチュアルの語源に触れながら、スピリチュアルの本質に迫っていきたいと思います。

スピリチュアルの語源の意味について

「スピリチュアル」という言葉は、息、呼吸、魂、勇気、活気などの意味を持つ、ラテン語の「スピリット」という言葉に由来しています。さらに「スピリット」という言葉は、古典のギリシャ語の「プラウマ(吹く」を語源にし、大いなるものの息という意味を持ちます。

スピリチュアルという言葉の本当の意味

スピリチュアルという言葉の本当の意味は「大いなるものの息」ということになります。「大いなるものの息」とは何か?それを探求することで、スピリチュアルの本質に迫っていくことができます。

スピリチュアルが怪しまれる理由

なぜ、スピリチュアルは怪しまれるのでしょうか?それは、スピリチュアルという言葉の意味を大きくねじ曲げられた経緯があります。

スピリチュアルを信じられない理由

そもそも、スピリチュアルはなぜ怪しまれるのでしょうか?それは、言葉から連想される意味にあります。スピリチュアルという言葉を聞いて、もう反射的に怪しいと壁をつくる方も多くいます。

ではなぜ、そのスピリチュアルは怪しまれるのでしょうか?主な原因は、人の認知バイヤスによる思考の偏りです。言葉というものは、そのものを定義づけします。

スピリチュアルという言葉は、テレビなどでは主に、オカルトなものや幽霊、さらには社会的に問題を起こした宗教団体などと同一のものとして紐づけられてしまっている節があります。頭で理解できないものは、全て「スピリチュアル」という言葉に一括りにされています。

そして、社会的に逸脱したイメージを想起させて、何か胡散臭いもの、怪しいもの、怖いものという感情のレッテルと共に、スピリチュアルは怪しいものという認識になってきたのではないでしょうか。

スピリチュアルという言葉は、「大いなるものの息」という語源から大きくそれ、ねじ曲げられてきたことがご理解いただけますでしょうか?

スピリチュアルの本質について

それでは、スピリチュアルの本質は何でしょうか。

スピリチュアルの語源が顕す大いなるものの息とは?

「大いなるものの息」と聞いて、みなさんは何を連想するでしょうか?神様から放たれる呼吸でしょうか?命の息吹でしょうか?言霊学を学んでいる私は、そこに真理があることがすぐに理解できました。

なぜなら、宇宙の始まりは、「すー」という音から始まり、その後、言葉が生まれビックバンが起こったと学んだからです。

歯と歯を合わせ、その隙間から、「すー」という息の音を発してみてください。その音が宇宙創生の音になります。もし、私たち一人一人が、宇宙創生の音を、自らの体から出せるとしたら、私たち一人一人が大いなる存在だったとしたら。

私たちはみんな、本当は全てのものを生み出せる力を持っているということになるのではないでしょうか。

スピリチュアルを含めて、封じられてきた言葉の力

私たちは、一人一人は素晴らしい存在であり、とてつもないパワーを持っています。ですが、国を統治する者にとっては、その力は極力押さえたいものであり、知られたくない事実として扱う必要がありました。

誰かが力を持って、その支配下に置くには、民衆一人ひとりには力がないと思いこませ、選択肢をもたずに大人しく生きるように仕向ける方が都合がいいのです。

それは、歴史を振り返れば理解できるようになってきます。特に言葉の歴史や言霊については、その認識を大きく歪められて伝えられてきました。その一つに、言葉というものの本当の意味や使い方は改ざんされてきたと言われています。

言葉は、私たちの思考に働きかけ、強く現実に影響力を与えます。スピリチュアルは語源を辿ると、もともととてもパワフルな言葉であり、その言葉を封印することで、私たち人間の本質に気づかないようにしていたと仮説を立ててみると、とても納得がいくものとして理解できていきます。

スピリチュアルを信じた方がいい理由

目に見えない世界を、スピリチュアルな世界と定義付けた場合、スピリチュアルを信じられないということは、目に見えない世界を否定することになります。

それは可能性を狭めることにもなり、それは本来の人間の力を発揮できないということにもなります。

もし、信じる信じないで、自分の能力を100%以上発揮できるとしたら、信じないという選択肢はなくなるのではないでしょうか。