スピリチュアルとは、自然なまま、目には見えないすべてのエネルギーなのだと思います。スピリチュアルな生き方とは、自然を敬い、目に見えないエネルギーに意識を向ける生き方のこと。自分が正しいと感じる概念をそのまま信仰することが、やがてそこから本質的な思想や観念が生まれ、正しい真の宗教感がつくられていくのだと思います。
霊魂とは?スピリチュアルとは?
スピリチュアルという言葉の意味を調べてみると、下記のように、記載されています。霊的や霊魂だけではなく、宗教、精神、神、超自然などの言葉も含まれています。
目に見えない世界
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英語のスピリチュアルとは、ラテン語のspiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態。[引用:ウィキペディア(Wikipedia)]
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これらに共通することとは「目に見えない世界」ということではないでしょうか。心も感情も愛情も、ラジオの周波数も携帯の電波も、目には見えません。
私たちは、毎日当たり前のように目に見えない世界に触れているのですが、心や感情や携帯の電波を毎日意識して暮らしている人はどれほどいるでしょうか?
目に見えないからこそ、置き去りにされたまま、大切にされずに物質に重きをおいた時代が、経済成長とともに続いてきました。そして、宗教は間違った形で発展していきました。そして目に見えない世界、スピリチュアルな世界は勘違いされていき、間違った認識へと真実を歪めたものになってしまっています。
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宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。[引用:ウィキペディア(Wikipedia)]
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宗教とは、目に見えない世界に対する、思想や観念であることが伺えます。その概念がねじ曲がってしまっているので、正しい思想や観念も失われてきたのが今のこの現代社会です。
まずは目に見えない世界の概念を正しく認識することから始まるのではないでしょうか。
英語のスピリチュアルとは、ラテン語のspiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態。[引用:ウィキペディア(Wikipedia)]
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これらに共通することとは「目に見えない世界」ということではないでしょうか。心も感情も愛情も、ラジオの周波数も携帯の電波も、目には見えません。
私たちは、毎日当たり前のように目に見えない世界に触れているのですが、心や感情や携帯の電波を毎日意識して暮らしている人はどれほどいるでしょうか?
目に見えないからこそ、置き去りにされたまま、大切にされずに物質に重きをおいた時代が、経済成長とともに続いてきました。そして、宗教は間違った形で発展していきました。そして目に見えない世界、スピリチュアルな世界は勘違いされていき、間違った認識へと真実を歪めたものになってしまっています。
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宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。[引用:ウィキペディア(Wikipedia)]
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宗教とは、目に見えない世界に対する、思想や観念であることが伺えます。その概念がねじ曲がってしまっているので、正しい思想や観念も失われてきたのが今のこの現代社会です。
まずは目に見えない世界の概念を正しく認識することから始まるのではないでしょうか。
スピリチュアルな生き方=自然な生き方
スピリチュアルという言葉にも、宗教という言葉にも、共通して記されている言葉が「自然」です。古代の人々は、自然を崇拝していました。自然に神様が宿っている八百万の神の考え方です。月信仰もその一つで、世界各地でさまざまな神と関連づけられてきた歴史があります。
自然がスピリチュアルなものなのだとしたら、私たち人間も、自然の一部として生きているのであれば、スピリチュアルな存在だということができると思います。
実際はどんどん自然からかけ離れた生き方になっているのが現状です。
「自然の一部として生きる」とは、どういうことなのかというと、自然を壊さない生き方、本来のありのままで生きる。という人間本来の生き方なのではないでしょうか。
自然がスピリチュアルなものなのだとしたら、私たち人間も、自然の一部として生きているのであれば、スピリチュアルな存在だということができると思います。
実際はどんどん自然からかけ離れた生き方になっているのが現状です。
「自然の一部として生きる」とは、どういうことなのかというと、自然を壊さない生き方、本来のありのままで生きる。という人間本来の生き方なのではないでしょうか。
霊魂の本質に迫る
霊魂はどちらも目に見えないエネルギーであるということが言えます。人は誰もがスピリチュアルな自分を忘れているだけで、本当は知っているのです。
人間本来「ありのままの自分」とは?
本来のありのままで生きる生き方とは、自然の中に行った時の感覚に近いのではないでしょうか。肩の力が抜けて、楽で、心地が良くて、からだが解放されていく感覚を、誰もが一度は体感したことがあるのではないでしょうか。
からだの感覚が軽やかになる体験は、私たちが肉体だけの存在ではないということを証明しています。
カウンセリングをする中で、しあわせな感覚をお伺いすることがあるのですが、自然の中にいる時という回答が一番多く、それだけ、からだの感覚は知っているということなのだと思いました。
人は誰もがスピリチュアルな自分を忘れているだけで、本当は知っているのです。また夢を見ている時も同様です。
からだの感覚が軽やかになる体験は、私たちが肉体だけの存在ではないということを証明しています。
カウンセリングをする中で、しあわせな感覚をお伺いすることがあるのですが、自然の中にいる時という回答が一番多く、それだけ、からだの感覚は知っているということなのだと思いました。
人は誰もがスピリチュアルな自分を忘れているだけで、本当は知っているのです。また夢を見ている時も同様です。
霊と魂の違いとは
神智学では人間には、気のエーテル体、感情であり霊体のアストラル体、魂が存在するコーザル体などがあるとされています。それらは、からだとは別に目に見えないエネルギーとして存在していて、外側に意識として広がり、同時に内側にも存在しています。
ですので、内側を見ていくことや、自分に気づいていくこと、内なる声に耳を傾けることは、自分の肉体を超えた、霊体のアストラル体、魂のコーザル体に意識を向けていることになります。
霊と魂の違いとは、エネルギーの層の違いになり、霊は感情や精神に関わりますが、魂は霊よりも高尚な存在となります。霊魂はどちらも目に見えないエネルギーであるということが言えます。まとめると、スピリチュアル=霊魂とは「自然と目に見えない全てのエネルギー」なのだと考えます。
スピリチュアルな生き方とは、自然を敬い、目に見えないエネルギーに意識を向ける生き方のこと。そして自分が正しいと考える概念を信仰することで、やがてそこから本質的な思想や観念が生まれ、正しい真の宗教がつくられていくのだと信じています。
ですので、内側を見ていくことや、自分に気づいていくこと、内なる声に耳を傾けることは、自分の肉体を超えた、霊体のアストラル体、魂のコーザル体に意識を向けていることになります。
霊と魂の違いとは、エネルギーの層の違いになり、霊は感情や精神に関わりますが、魂は霊よりも高尚な存在となります。霊魂はどちらも目に見えないエネルギーであるということが言えます。まとめると、スピリチュアル=霊魂とは「自然と目に見えない全てのエネルギー」なのだと考えます。
スピリチュアルな生き方とは、自然を敬い、目に見えないエネルギーに意識を向ける生き方のこと。そして自分が正しいと考える概念を信仰することで、やがてそこから本質的な思想や観念が生まれ、正しい真の宗教がつくられていくのだと信じています。